▲空から見た南箕輪村
長野県南箕輪村
3319号(2025年5月19日)
全国町村会 前次長(政務担当)
角田 秀夫
長野県の南箕輪村は、伊那地方の北部に位置し、総面積40.99km²、2024年3月1日の人口は16,025人の村である。特筆すべき特徴として、これまで人口が増え続け、移住者の割合が73.3%に達しているということがある。また、村長を務める藤城栄文氏はもともと東京都出身で地域おこし協力隊として、村に移住し、村議を経て村長になったという全国でも珍しい経歴を持っている。
こうしたことから、今回、2025年2月20日に南箕輪村を訪問し、藤城栄文南箕輪村長にインタビューを実施したのでその概要をまとめた。
質問者(全国町村会前次長角田秀夫、以下角田):今回、村長にお話を聞きたいと思ったのは、2つ理由があって1つ目は、村長は、地域おこし協力隊として南箕輪村に来られて、村長になられたという経歴をお持ちということで、そのご自身のプロフィールと経緯を伺いたかったのです。
2つ目として、各地域の町村が人口減少の問題に苦労している中で、南箕輪村は移住者が多く、人口も増加しているということを聞いて、大都市近郊の町村ではそうしたところもあるのですが、農村地帯で人口が増えているというのは珍しいので、その要因を伺いたかったということなのです。
まず、村のWebサイトの村長のプロフィールを拝見すると東京都出身ということですか。
藤城栄文村長(以下藤城):東京都世田谷区の駒沢の出身です。
角田:大学を卒業され、2002年に江戸川区役所に入られたのですね。
藤城:はい、22歳のときに区役所に入りました。当時、石原慎太郎氏が東京都知事で、東京都が非常に面白いと感じていました。就職氷河期でもあり、みんなで公務員になろうという仲間がいたことがきっかけで、公務員を選びました。
角田:区役所ではどんな仕事をされていたのですか。
藤城:最初に配属されたのは自治係で、地域振興や住民自治に関する仕事でした。具体的には、お祭りや町会、青年連絡会の事務局を担当し、役所の仕事としては珍しい業務を行っていました。4年間働いた後、人事部門に異動し、3年間そこで勤務しました。
角田:区役所を退職されて、2010年からフラッグフットボール協会で働かれたのですね。
藤城:はい、その協会はまさにゼロから始まりました。最初は法人化もされておらず、専任スタッフ2人で運営していました。その後、法人化し、最終的には公益財団法人に成長しました。フラッグフットボールは教育的価値が高いスポーツなので、学習指導要領に取り入れることを目的として活動をしていました。その結果、2020年施行の学習指導要領の本編に掲載され、この目標を達成することができました。
角田:もともとフラッグフットボールをされていたのですか?
藤城:いいえ、私はやっていませんでした。協会は、フラッグフットボールをしていない人たちが集まり、良いスポーツを普及させようという形でスタートしました。行政のことを知らないメンバーが多かったのですが、私が公務員経験者だったため、声をかけていただきました。
角田:2017年に地域おこし協力隊として村にいらっしゃったのですね。
藤城:妻の実家がこちらにあり、こどもが3人いたので、広い家でのびのびと育てたいと思いました。東京だと家賃が高く、生活が厳しく感じていました。ちょうどフラッグフットボールも学習指導要領に掲載され、私と事務局長の2人だけで運営していたのですが、若い30代の女性がその役割を引き継いでくれることになり、その方にお譲りしました。
角田:やはり、奥様がこちらの出身というのが、南箕輪村を選ばれた要因ですか?
藤城:妻は隣の伊那市の出身ですが、妻の両親が南箕輪村をすすめてくれました。子育て支援に関する口コミが広がっていて、「住むなら南箕輪が良い」と言われました。最初は不思議な気もしましたが、自分が住んでいない場所を他の人にもすすめたくなる気持ちも今では理解できます。
角田:地域おこし協力隊としては、どんな仕事をされていたのですか?
藤城:南箕輪村は昭和40年代から県内で人口増加率がトップレベルだったので、移住定住対策はほとんど行っていなかったのです。最初の移住定住担当として地域おこし協力隊がその役割を担うことになりました。当時の村長から言われたのは、2040年には人口が減少すると予測されていたため、「2040年以降、人が減らない政策を君が担当してくれ」というもので、かなり難しい課題を与えられました。協力隊に参加したのは、いずれは民間に就職しようと考えていたからですが、地域の産業構造がわからなかったり、どの企業が良いのかも見当がつかなかったので、区役所の経験を活かして最初は役場で仕事をしようと思いました。37歳で来たので、40歳までに民間で就職を決めたいと思っていたのです。
角田:移住関連の仕事をやってみて、どうでしたか?
藤城:南箕輪村では当時、「人を増やすな」という、ちょっと変わった方針があったのです。そのため、ターゲットは主にこどもたちで、20年後に30歳くらいになるこどもたちに、この村を知ってもらい、愛してもらうことが主な目的でした。自分が村を知るにあたり、この村について調べてブログで発信することが効果的でした。そのおかげで、村のことに詳しくなり、地元の人々との会話が成立するようになりました。会話が成立すると、さらに多くの情報を教えてもらえるので、貴重な経験でした。やっぱり、自分で発信しないと、自分の言葉で話すことができないし、発信することでその内容が自分の中にしっかり落ちてくるのです。地元の人との会話も深くなり、非常に有意義な時間でした。
角田:元々移住者が多い地域だったので、移住者として余所者のような雰囲気は少ないのでしょうか?
藤城:それは、非常に少なかったですね。移住者としての立場はまったく感じませんでした。現在では、73%が移住者ですから。
角田:その後、2019年に村議会議員になられたのですね。
藤城:はい、協力隊の2年目が終わった4月に選挙があったので、協力隊は2年で辞退いたしました。協力隊時代は給料が非常に低く、かなりしんどかったうえに、ずっと役場に縛られた状態でした。協力隊での経験は、議員としての活動や、村長になるうえではプラスになりましたが、当時は本当に大変でした。
角田:議員に立候補しようと思った理由は何ですか?
藤城:村のことを調べていくうちに、結構面白い村だなと思い、もう少しこの村の発展に関わってみたいと感じました。議員は自分で手を挙げて立候補しました。自分の地元の地域では誰も出ていなかったので、色々と調整があった結果、トップ当選を果たすことができました。
角田:その後、2021年に村長選挙があり、立候補されて当選されたのですね。
藤城:はい、村長選は前の名村長、唐木さんが引退され、議員を5期務めた55歳のいわばサラブレッドの方が、12月に出馬表明しました。そのため、誰も出られなくなり、本来出るべき村の名士たちも出ない状況でした。このままでは無投票になってしまうと思った方々から、2月に声をかけていただきました。私も無投票は良くないと思っていましたが、まさかその役目が自分に回ってくるとは思っていなかったので、衝撃を受けました。しかし、これもチャンスだと思いましたし、挑戦する人生を送りたいと公務員を辞めた時に決めていたので、「やります」と答えました。その結果、当選することができました。
角田:その時に掲げた公約はどんな内容でしたか?
藤城:「いつまでも幸せに暮らせる村」ということを掲げました。年を取ると、そういったことが一番大事だと感じますし、私もこの村で穏やかな生活を送りたいと思って移住しました。そのため、穏やかな村を作りたいという思いを込めて、これを公約にしました。前の唐木村長は子育て支援に力を入れていましたが、「お前はバランスよくやらないとダメだ」と言われました。
角田:南箕輪村に来て驚いたことは、村の中にアパートやマンションが並んでいることでした。他の町村では移住に力を入れても住む場所がないという問題が多いのですが、南箕輪村は移住しやすい環境が整っているのかもしれませんね。
藤城:アパートは最近増えてきましたが、空き家の一戸建てはあまり見かけません。空き家が少なく、私自身、移住してくる際には1軒だけ見つけることができ住んでいましたが、現在の住まいは自分で建てたものです。2年間探し続けて、納得できる場所に家を建てました。移住してきた拘りから、十分に納得できる場所を選びたかったので、少し苦労しましたね。
角田:もともと人口が増えていたということですが、それは地元に産業があるからでしょうか?
藤城:はい、そうですね。中央道の開通と製造業の発展が大きな要因です。私たちの世代は、地元の企業で働いている人が多いです。この上伊那地域は、長野県内でも比較的収入が多い地域だと言えると思います。
角田:最近、地方創生2・0では若者や女性に選ばれる地方をめざして取り組んでいると聞いていますが、若者や女性が働ける職場が地方にないと、人口増加や移住も難しいのではないかと思うのですが。
藤城:そうですね。おそらく、製造業が成り立っているのは、日本アルプスからの綺麗な水がきちんと確保されていることが大きな要因だと思います。南箕輪村で働いている人は少なくないですが、伊那市や諏訪市等に働きに行っている方が多くいらっしゃいます。
角田:移住のWebサイトを見ると、農業関係の後継者募集等も行われており、農業に対して力を入れている印象を受けました。
藤城:はい、南箕輪村は酪農が盛んで、県内で9位くらいの規模を誇ります。酪農は比較的若い世代が継いでいるところが多いので、後継者は一定数いますが、全体の数は減っています。一方、農業に関しては「まっくんファーム」という農事組合法人があり、ほぼ全ての農家がそこに参加しています。農業を引退した後も「まっくんファーム」に依頼している人が多く、土地の有効活用が進んでいます。ここでは比較的若い人たちが多く働いています。
角田:南箕輪村は平坦な土地で、農業をするには適していると思います。
藤城:はい、とても適しています。山には面していないため、鳥獣被害も少なく、非常に恵まれた環境だと思います。
角田:南箕輪村には信州大学農学部のキャンパスがあるのですね。
藤城:そうなんです。大学があることで、街中の居酒屋等には若い人たちがたくさん働いています。また、行政の計画作りにおいても教授に協力してもらうなど、非常に良い関係が築けています。大学在学中に南箕輪で暮らして、気に入って卒業後に役場に就職した人も5、6人います。最近中途採用した人は兵庫県出身ですが、大学時代の思い出を大切にして、この村で家族と一緒に暮らすことを決めました。大学があることで、さまざまな良い影響があると感じています。
角田:村長として、どんな村にしていきたいと考えていますか?
藤城:他の自治体が移住者を集めることに力を入れていますが、南箕輪村は移住に関しては他の自治体よりもかなり先を行っていると思います。これからは、「移住者が増えた後、どうするか」ということをしっかりと作り上げていかなければなりません。移住者が増えると、住民自治のあり方も変わっていきます。良い面も悪い面もあるので、現在、自治会の改革を進めています。公民館を開放したり、もっと人が集まる場所を作ったりすることが重要です。都市部のコミュニティが崩壊している一方で、濃密な田舎のコミュニティも評価されていないことがあります。私は、「本当に人が暮らすうえで適切なコミュニティは、南箕輪のようなものだ」と思えるようなものを作りたいです。地元の人々は「人と人との付き合いが希薄になった」と感じているかもしれませんが、私たちの世代にとっては、このくらいがちょうど良いのではないかと思います。秩序ある個人主義的なつながりが、最も良い形だと考えています。
注 南箕輪村の子育て支援施策については、
町村週報3269号(2024年2月12日発行)「人口が増え続ける謎の村=長野県南箕輪村」参照
全国町村会 前次長(政務担当)
角田 秀夫