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東郷町制施行55周年 未来へつないでいく愉しさ

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年5月26日更新

愛知県東郷町長  石橋 直季氏愛知県東郷町長 石橋  直季​​​

​東郷町制施行55周年 そして東郷創立120周年

 東郷町は、尾張東部に位置し、名古屋市と豊田市の間にあるベッドタウンです。今年2025年4月1日に町制施行55周年を迎え、来年2026年5月10日には東郷創立120周年を迎えます。1906年に諸和村と春木村が合併して東郷村ができ、以来、農業を中心に発展してきました。高度経済成長期以降は、その基盤を残しながら、各地に近代的な住宅街、工場がつくられていきました。まちの中心部を取り囲む形で区画整理事業が行われていき、人口は、東郷村ができた1906年には約3,000人、東郷村から東郷町になった1970年には約11,000人、そして2025年の今は約44,000人。1970年代の資料を紐解くと「県下でもトップをいく人口急増地帯」という表現があります。周縁の住宅地が形成され、人口が伸びてきた中で現在は、役場がある中心部の区画整理事業が仕上げの段階を迎えています。こうして東郷の歴史を振り返っていくと、周縁から中心へ市街化が進んでいった2020年に、ららぽーと愛知東郷がまちの中心に開業したことはとても象徴的です。

水と緑とボートのまち とうごう

 東郷町は、都市近郊にありながら豊かな自然があり、とても穏やかな時間の流れる地域です。木曽で育まれた大切な水を知多半島まで届ける愛知用水、その調整池である「愛知池」は特に自然が感じられ、穏やかであたたかなスポットとなっています。愛知池は、静水で7レーン1,000メートルを有する国内でも有数のボート競技場でもあります。1964年から中日本レガッタが毎年開催され、1983年にインターハイ、1994年には国民体育大会が開催された漕艇場です。町民スポーツとして親しまれ、町が開催する「町民レガッタ」では毎年私も、楽しくオールを漕がせてもらっています。

全国市町村交流レガッタ

 私がレガッタに参加することになったきっかけは、町議会議員のクルーとしてがはじまりです。2015年から約10年、東郷町議会議員を務めた後に、現在の職となります。

 東郷町にとってボートは町民スポーツであり、東郷町の議員は当然レガッタに参加するという文化が受け継がれてきました。私もその伝統の中で、2015年に町議会議員になってからは毎年、町議会議員クルーとして「全国市町村交流レガッタ」にも参加させてもらいました。全国市町村交流レガッタは、1992年の美浜大会を皮切りに、全国のボート場所在自治体の持ち回りで、ボート場所在自治体の首長が一同に会する「ボートサミット」に併せて開催されています。大会には性別・年齢別の種目だけでなく、議会議員の部が設けられていて、そこに毎年参加できたことは、本当に貴重な経験となっています。

交流レガッタの様子

鎧塚さんとの縁 交流レガッタ初優勝

 愛知池には、全国市町村交流レガッタの祖である故・鎧塚一氏の銅像があります。日本全国のボート競技振興、そして東郷町のボート競技普及発展に、とてつもなく大きな功績を残された方です。私は数えるほどしかお会いできませんでしたが、その都度、矍鑠とボートの漕ぎ方を説かれる姿に感銘を受けていました。交流レガッタでボートを漕ぐ時には、鎧塚さんと東郷町との強い縁を想い、私のような未熟者ですら何か、誇りのようなものを感じながらボートを漕いでいました。

 町長に就任した昨夏からは、交流レガッタで実際にボートを漕ぐことは叶わなくなってしまいましたが、ボートサミットへの参加に併せて「第33回全国市町村交流レガッタ薩摩川内大会」に同行しました。本町からは種目別で6クルーが参加、熱戦を繰り広げる我がまちのクルー、応援だけで汗だくの私、東郷のテントは仲間の奮闘に一喜一憂、そして結果はなんと、総合優勝。本町の歴史で初めて、やっと、ついに、全国市町村交流レガッタでの総合優勝が成されました。町長に就任したばかりの私は、この優勝に、勝手ながら自分自身への使命のようなものを感じました。鎧塚さんが、私に渡してくれたバトンのような気がしました。チーム東郷の皆さんがつかみとった優勝。主役は間違いなく、クルーの皆さん。広く町民の皆さまが存分に、町民スポーツであるボートを楽しめる環境をつないでいくバトン。

 町制施行55周年の年に、「水と緑とボートのまち」を次代へつないでいく使命感と愉しさを感じています。