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「小さな村」の戦略

印刷用ページを表示する 掲載日:2026年9月7日更新

早稲田大学政治経済学術院教授 稲継 裕昭(第3372号 令和8年9月7日)

 長野県白馬村は、オーストリア・フォアアールベルク州のレッヒ村と友好都市である(i)。白馬村の人口は約8,200人、レッヒは約1,500人。規模は異なるが、いずれも世界中の人々を引きつけるアルプスの山岳リゾートである。二十年ほど前、そのレッヒを夏に訪れ、短期間滞在した。そこで目にしたのは、「人口1,500人の村」が世界的ブランドを築くための驚くほど周到な戦略であった。

 宿泊したホテルは家族経営で、オーナー夫妻が毎日のように食堂に立ち、宿泊客一人ひとりに声をかけていた。さらに紹介された近くのアパートメントは、オーナーの姉が経営していた。聞けば、きょうだいの父親は長年レッヒの観光局長を務め、この村を世界的な山岳リゾートへ育て上げた人物だという。行政と民間が別々に動くのではなく、地域全体を一つの共同体として経営しているという印象を受けた。

 特に印象的だったのは、レッヒ中心部の高台にあるリゾート地区(オーバーレッヒ地区)の地下トンネルである。冬季は一般車両の乗り入れを制限し、ホテルへの物流やサービス車両を地下トンネルで処理する、世界でも珍しい歩行者中心の山岳リゾートである。地上には車がほとんど走らず、ホテルへの物流やサービス車両は地下を通る。宿泊客は静かな雪景色や草原を楽しみ、裏側では効率的なインフラが機能している。景観を守るために交通を地下化するという発想は、日本の観光地ではなかなか見られない。

 また、ホテルの部屋のカードキーがリフト券や路線バスの乗車券を兼ねていたことも感激した。滞在中は周辺の山々を自由に歩くことができ、公共交通も気軽に利用できた。サービスデザイン思考で、観光客の滞在行動全体を設計するという発想が徹底していた。

 レッヒは宿泊施設を無秩序に増やさない。ベッド数を一定程度に抑え、その代わり滞在の質を高める。量ではなく質で地域を豊かにする戦略である。人口1,500人の村が、世界中から人を引きつけ続けている理由はここにある。スキーシーズンには英国のダイアナ妃も毎年滞在されたという。

 日本でも人口減少が進み、多くの町村が「何を増やすか」ではなく、「何を守るか」を問われる時代になった。景観、静けさ、地域の人間関係、歩いて楽しめる空間――そうした価値は、数字には表れにくい。しかし、小さな村だからこそ守り、磨くことができる資源でもある。レッヒで学んだのは、「小さいこと」は弱みではなく、戦略になり得るということであった。人口1,500人の村が世界に選ばれる理由は、今の日本の町村にとっても大きなヒントになるように思う。

(i) https://www.vill.hakuba.lg.jp/gyosei/soshikikarasagasu/somuka/somukakari/8/1391.html