ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 「日本人ファースト」再考―外国人住民との向き合い方

「日本人ファースト」再考―外国人住民との向き合い方

印刷用ページを表示する 掲載日:2026年6月15日更新

九州大学大学院法学研究院教授 嶋田 暁文(第3363号 令和8年6月15日)

 「『郷に入っては郷に従え』という意味であるならば、『日本人ファースト』というのもおかしくないのではないか?」。そんな指摘を受けて、「なるほど」と思った。移住者が都会の論理をふりかざして農山村で勝手放題してしまうのがアウトであるのと同様、外国人が長い年月を通じて育まれてきた日本の文化やルールをないがしろにして生活を送るのは好ましくない。「日本人ファースト」の内実が「日本人オンリー」ではなく、そのような意味だとすれば、確かに十分傾聴に値する。

 ただ、そのように受け止めたうえで、同時に受け入れ側にも三つのことが必要だと考えた。

 第1に、「知ること」である。知っている人のピアノの音だと「今日も元気にしているのだな」とうれしくなるのに、知らない人のピアノの音はうるさく感じるのだという。「知らない」ということは苛立ちや不安につながってしまう。だからこそ、まずは外国人住民のことを「知る」必要がある。

 第2に、「人ではなく、時で見ること」である。「中国人」とか「ベトナム人」といった「~人(じん)」という括りで人の性格・行動の傾向を判断すべきでないのは当然のこととして、個人に着目して「この人は~だ」といった具合に「人(ひと)」で決めつけることも、できるだけ避けた方が良い。たとえば、正義感の強い人は、状態の良い時には、自らが苦境に陥るリスクを厭わず、「世のため、人のため」の行動をとれるが、状態が良くないと、「他者の誤りや不公平と感じることを攻撃し、他者からの批判は受け容れない」といった自分本位な行動をとりやすくなってしまう。同じ「人(ひと)」であっても、「時」によってとりうる行動は異なる。だからこそ、「時」を意識して、外国人住民にとって「良い状況」を意識的につくりだすことが大事なのである。「悪い状況」に追い込んではいけない。

 第3に、「評価基準を柔軟に切り替えること」である。われわれは、一流のオーケストラの演奏に拍手を送るが、技術的に未熟でも懸命にがんばる子どもたちの演奏にも拍手を送る。評価基準は相手に応じて切り替えることができるのである。外国人住民と向き合う際にもそのような評価基準の柔軟な切り替えが求められる。しかし、「寛容」でなければ、それはできない。

 当たり前だが、外国人住民だけでなく、受け入れ側にも努力が求められるのである。