國學院大學 観光まちづくり学部 教授 梅川 智也(第3361号 令和8年6月1日)
夜は静かに過ごすものという日本人の伝統的な価値観からすると、海外に比較して、日本の観光地における夜の時間帯の活用には、大きな伸びしろがある。とりわけ温泉地においては、夕食後の時間帯にホテルや旅館から抜け出し、温泉街でいかに楽しく過ごしてもらうかが、滞在満足度と消費額の双方を左右する重要な論点となっている。いわゆるナイトタイムエコノミーの充実は、都市部だけでなく、地方の観光地においても避けて通れない課題である。
その中で注目されるのが、南小国町黒川温泉の取組である。冬の風物詩となった「湯あかり」は、2012年の冬から始まり、今年で14回目。丸い球体状の「鞠灯篭」と筒状で高さ2mほどの「筒灯篭」が田の原川沿いに美しく飾られる。地域住民や事業者が一体となって手づくりで演出する夜の景観であり、宿泊客に静謐で温かみのある時間を提供している。しかも開催期間は12月から3月の冬場の閑散期に設定されており、放置竹林対策にもつながっている。過度な商業化に頼らず、黒川温泉の地域資源と地元の人の力で夜の価値を創出している点にこの取組の本質がある。
同様の試みは各地に広がっている。長門湯本温泉の「うたあかり」は今年が8回目。温泉街を流れる音信川を舞台に、音と光を組み合わせた演出によって温泉街の回遊性を高め、面的な夜間の滞在価値を引き上げている。やはり1月から3月という冬の閑散期に開催されている。また、阿寒湖温泉における「カムイルミナ」は、アイヌ文化の物語性を活かした体験型プログラムとして、明確に夜間消費の創出に結びつけている点が特徴的である。
もっとも、こうした取組が直ちに大きな経済効果へと結びつくわけではない。多くの温泉地では深刻な人手不足に直面しており、これは単なる労働力の問題にとどまらず、夜間経済を拡張しにくい構造的制約となっている。結果として、宿泊客が早々に部屋に戻り、地域内での追加消費が生まれにくい構造が依然として残っている。
それでもなお、各地の実践は重要な示唆を与えている。夜の時間を「何もない時間」から「地域らしさを味わう時間」へと転換する試みは、規模の大小を問わず可能である。温泉地のナイトタイムエコノミーは、単なる賑わい創出ではなく、地域の価値を再編集する営みである。その積み重ねが、持続可能な観光地経営の基盤を着実に形成していくことになる。