國學院大學まちづくり学部長 西村 幸夫(第3340号 令和7年11月17日)
この9月に長距離バスや各駅停車の列車で移動することが続いたので、おのずと車窓のヒガンバナに目がいった。かつて触れたように(『町村週報』第3261号、2023年11月27日)、ヒガンバナの遺伝子は三倍体のため、実を結ぶことはない。古代に中国からもたらされたヒガンバナは人の手による株分けによって日本全国に広まっていったと考えられている。
つまり、ヒガンバナがこれだけ広まった背景には株分けをしていった多くの人の手が必須だった。車窓からヒガンバナの紅い花を眺めながら、私はヒガンバナはいったいどのようなところに植えられていったのかを確かめたいと思った。
その気になってよく見ると、ヒガンバナの咲いている場所にはいくつかのはっきりした傾向を見て取ることができる。ヒガンバナをよく見かけるのは、田んぼの畔や小川の土手、さらには墓地や小径の隅、民家の裏手などである。深山幽谷ではヒガンバナを見かけることはない。同様に、新興住宅地やハイウェイのような幹線沿いにもない。
つまり、人の手が入らないところにも、入りすぎたところにもヒガンバナはない。適度に自然があり、人の生活が長いあいだ刻まれているようなところに限ってヒガンバナは咲いているのである。
さらに、花の咲き方にしても、2、3の株がまとまって咲いていることが多く、あたり一面のヒガンバナ畑というものはありえない。畔などでたまに列状に咲いているところもなくはないが、それにしても人の手で株分けできる程度のひろがりしかない。つまり、ヒガンバナの咲き方は、人の手で移植されてきた痕跡をよくとどめている。ヒガンバナを愛でた人、愛でなかった人の姿があちこちの花の分布に感じられるのだ。
ヒガンバナはまた、民家の庭の主役ということもない。花がない時期には忘れ去られているものが、彼岸の一瞬のみ、存在を輝かせる。それにふさわしい、つつましい場所に移植されたのだろう。
言いたいのは、ヒガンバナが咲くというひとつの風景にも、その背後に物語があり、それを心得て風景と接すると、その風景を巡る人々の想いがはっきり透けて見える、ということである。風景の背後の物語を知ることが風景に意味を与え、そこから人々の暮らしそのものが立ち上がってくるのである。