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「住民自治」から「関係自治」へ

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年9月1日更新

農業ジャーナリスト・明治大学客員教授 榊田 みどり(第3331号 令和7年9月1日)

 人口減少・高齢化が進行する中、関係人口の確保・拡大に取り組む自治体は多いが、関係人口との関係性をどう深めていくか、その道筋を描けない自治体も多いと感じる。

 ひとつの選択肢として、関係人口に、地域づくりにも参画してもらう受け皿を用意することを考えられないだろうか。

 2000年代前半に注目された「協働のまちづくり」は、地域住民が主体となって行政と連携し、地域づくりを進めてきた。しかし、当時のリーダー層が高齢化し、新たな課題に直面している話も聞くようになった。農業分野での集落協定も同様だ。

 であれば、住民が主体となって地域の将来を考える土台は維持しつつ、その実践部隊として関係人口に参画してもらう形は考えられないか。

 そう示唆してくれたのは、豊田市旧旭町敷島自治区の農村RMO「しきしまの家運営協議会」の実践だ。同協議会は、地域自治体制を従来の「住民自治」から関係人口を巻き込んだ「関係自治」へとシフトする“構造改革”を進めている。

 周知のとおり、豊田市は人口約41万人の中核都市。しかし、平成の大合併で旧豊田市と周辺の山間部6町村が合併し、過密と過疎が市内に共存する日本の縮図のような自治体になっている。

 周辺山村は、高度成長期のトヨタの驚異的な成長と並行して早くから過疎化が進行した。旧旭町もそのひとつだ。旧町にある5自治区のひとつが敷島地区で、人口は約850人しかいない。9集落で構成される旧小学校区だ。

 もちろん一朝一夕に「関係自治」という発想が生まれたわけではない。発端は、09年、豊田市が過疎対策として、敷島地区をフィールドに「日本再発進! 若者よ田舎を目指そうプロジェクト」を実施し、全国から若者を公募したことだった。

 リーマン・ショック時でもあり、約50人の応募者の中から選抜された10人が、3年間、有機農業に取り組みながら地域に溶け込んだ。それを機にIターン者が増え始め、あきらめムードだった地域の空気が徐々に変わったという。

 ここで詳細を説明するスペースがなく残念だが、その後、関係人口を受け入れる地域住民のメンタリティが醸成され、地域ビジョンの策定とともに、関係人口を巻き込んで地域の「困っている人」と「お手伝いできる人」をマッチングする支え合いシステム、条件不利地の稲作を支えるCSAプロジェクト「自給家族」を核にした農地保全システム、誰もがフラッと立ち寄れる共食の場としての農村レストランも誕生した。

 農村レストランのある「しきしまの家」は、支え合いシステムや農地保全システムの事務局拠点でもある。ざっくり言えば、敷島自治区の従来の住民自治組織を1階に置き、増築された2階部分の「しきしまの家」が、1階での地域課題についての協議を土台にした関係人口も含めた実践組織として機能する“構造改革”を進めていることになる。

 農村RMOは、農水省の支援事業が3年期限という課題もあり、自らの地域にメリットがあるかどうかの判断が必要だ。しかし、農村RMOを立ち上げなくても、関係人口を地域づくりのプレーヤーとして深化させる受け皿づくりを考えることは、今後大きなテーマになるのではなかろうか。